essay

 

 

●安藤昇追悼 『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』に感動する理由

 

安藤昇が「ホンモノ」と称されることにいつも少し違和感があった。

本物のヤクザから俳優になった異色の経歴とあの風貌でそういわれるのもわかるけど、

私にとっては「(俳優として)ニセモノ」の魅力が強いからだ。これは最高の褒め言葉。

 

「ニセモノ」が言い過ぎなら「仮の姿」かな。

自伝の主演にと金を積まれて口説かれて成り行きで40才で俳優になった(著書やインタビューより)

素人だから。

セリフは棒読み気味、背が低くストンと立つと棒立ちに見える。

でもそこがスーパーピュアな魅力なのだ。プロ俳優にはないぎこちない色気がたまらない。 

とにかく情熱をもって映画界に入ったわけではないのは確か。

ポーズかもしれないが、50才ですっぱり辞めている事実をみると本音だったのだろう。

 

デビューから5年後の1970年のインタビューを読むと、

そのころからようやく俳優業が面白くなってきたそうで「コメディに挑戦したい」とまで言っている

(実際、安藤のコメディセンスは抜群で、真顔でぼそっとつっこむ間が見事。

『裸の銃を持つ男』ヤクザ版みたいな映画をやってほしかった)。

個人的にも70年前後の安藤昇はピュアさとこなれのバランスが絶妙で、顔も一番カッコいいと思う。

70年は主演テレビドラマ『新三匹の侍』の放映も大きかったかもしれない。

自分が「お茶の間に登場する」ことに責任や痛快やいろんな思いがあったと想像する。

 

73〜4年ごろになると演技にどこか慣れやスレを感じてしまう。

本人が自分の眼力の威力に気づいてしまったというか、

ひと睨みだけで「ホンモノだ」と感嘆されてきた結果だろうか。

そのころの安藤昇の演技には彼らしいピュアさをあまり感じない。

セリフもやたらドスをきかせるし、なにより茶目っ気がないのだ。

 

そんな安藤昇が76年の『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』で「スーパーピュアがえり」する。

ヤクザを演じるスターが女と絡むシーンはたくさんあったけど、

ここまでポルノグラフィックにすべてをさらけ出し「みっともなく」絡んだ俳優がいるだろうか、

当時50才の裸で。

「頼まれたからなんとなく俳優になった」人がやる役じゃないもの。

ベッドシーンを見てもセクシーというより「よくこの役を受けたなあ」という驚きと感慨が先に立つ。

 

演技プランについては常々「監督の指示に従ってるだけだよ」と言っているが、

何本かの映画では監督と揉めて脚本を書き直したり途中で帰ったりもしている。

つまり『わが逃亡〜』の田中登監督には全幅の信頼を寄せていたのだろう。

日本が貧しかった時代に思いを馳せ冷蔵庫のハムや野菜を丸ごとひたすらかじり続けるなど、

田中登らしい「青い」演出にも体当たりで応えている。その姿に「慣れ」は見えない。

 

『わが逃亡〜』で私が一番感動するのは、二番めに逃げ込んだ愛人・中島葵宅で

コーヒーを飲みながら話すシーン。愛人の中ではもっとも「妻」に近い存在だ。

中島は安藤を心身共に愛しているが、彼の行動をやんわりと非難する。

彼女が「初めて追われる身になった感想はどう?」と皮肉まじりに聞くと安藤は

「追われるってのは何かから逃げることだ。でも俺のはそうじゃねえ。

何かに向かって逃げてるんだ! 」と答える(笑)。

つい「(笑)」を付けてしまうほどこの言い草はマヌケなセリフだ。

中島が「理屈に聞こえるわ。逃げてるあなたはあなたらしく見えないの」と追い打ちをかけると、

安藤はコーヒーを口に運び「苦え」と顔を歪めるのだ。

 

「安藤昇の実話」とうたった映画で、自らの逃亡を女に否定されるシーン。

安藤昇の逃亡劇といえば有名で何度と書籍化映画化もされ彼の人生のハイライトともいえる。

自分でもその行動には誇りがあったはずだ。

だからこの脚本を承諾してカッコわるく演じた安藤昇が素晴らしいと思う。演じさせた田中登もすごい。

違うピュアをもつ二人が奇跡的に結びあった究極のピュアな映画だ。

ちなみにここでいうカッコわるい=ピュアは

「男はいつまでもヤンチャでみっともないんだよ」的ナルシシズムとは

まったく別物ということを書いておきたい。

安藤昇には不思議とナルシシズムを感じない。

やはりホンモノの俳優じゃないからどこか自分に酔いきれないのかもしれない。

それは女性人気の理由のひとつだと思う。

 

『わが逃亡〜』のラストはパトカーの中で自慰して例の名セリフ、

そして逃亡の末に逮捕されたときの実際のニュースフィルムで終わる。大団円。

この映画を最後に俳優を辞めるなんて、なんてかっこいいんだろう。

 

50才で辞めてからはたまの特別出演やプロデューサーとして映画に関わっていたが、

そのころの顔を見るとはっきりと「もう俳優の顔(表情)ではない」と感じる。

「飽きたし未練もない」という言葉は本当なのだろう。

その顔を見るとファンの私でも「もっと映画界にいてほしかった」という気持ちがなくなるので諦めがつく。

 

89才の死は大往生だと思うし最後まで現役だった。

亡くなる数ヶ月前に自身の特集上映に素晴らしいメッセージを寄せた。

東スポの取材を受けて老いた近影を堂々と出したことにも感激した。

そして素敵な映画がたくさん遺っている。

これからも安藤昇の映画を観つづけていきます。

(敬称略)

 

追記:著書やインタビューにソースをあたったものもあるけど、

あくまでこの文章は私が映画をとおした安藤昇観であって

「あの件の本当の理由を知ってて真相は……」などという解説は無用なのです。

実は彼の自伝のようなものにもさほど興味はない(一応読んではいるけど)。

特に女性についての文章なんて男尊女卑気味だからあまり読みたくない

(多分に男性ファンへのサービスなのだろう)。

素の安藤昇を知る人の証言はもちろん少しは気になる。

「かっこいい生き方」「男が惚れる男」と聞いてときめく気持ちもなくはない。

でもやはり私の安藤昇は映画の中に生きている。

「ホンモノ」って言葉に違和感がある、ってそういう意味なのかもしれない。

映画を観ると「もし安藤昇が本物のヤクザじゃなかったとしても」好きだと思えるから。

 

 

 

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●レディースシート考~新橋ロマンさんへ

 

蟹江敬三が亡くなった。蟹江にはロマンポルノの名作が多いので、

5月9日からの追悼上映にあたって新橋ロマン劇場(新橋文化)さんが

ツイッターで「レディースシートの設置」についての意見を募った。

その結果、とりあえず今回はレディースシートを設けることが決まった。

この一連の流れがとても素敵だったので、まずは嬉しい。

『天使のはらわた 赤い教室』『犯す!』『花芯の刺青 熟れた壺』、みな名作だ。

なのでこの機会に私の見解も述べたいと思う。

 

私は、本来はポルノ上映時にレディースシートを設けることには反対だった。

理由は、電車の女性専用車両同様、そんなことで「本質」は解消できないと思っていること。

女を特別扱いすることによって「痴漢はいるもの」という思考停止な前提になってしまい、

それは男性差別にもつながる。

 

あとは個人的な理由で、レディースシートは後方にあることが多いのだが、

私はかなり前方の席が好みなので、レディースシートを無視して座った場合、

混雑時には迷惑になるし、「レディースシートがあるのに他の席に座るってことは……」と

思われる可能性もある。信じられないかもしれないけど、痴漢にはこういう考え方の人がいる。

そもそも「女がポルノなんか観にくるってことは……」という発想の痴漢は多いのだから。

 

そんなレディースシート反対派の私だったが、昨年のクリスマスに新橋ロマンで三本立てを観た際、

二人のHand Job Man(以下、痴漢で統一)に遭ってしまった(通路を挟んだ同じ列)。

女は(男性もそうかもしれないけど)いくつになっても痴漢には慣れない。

ショックだし、怖さと憤りで、そこからしばらくは映画にも集中できない。

新橋ロマンに行ったことがある人ならわかるだろうけど、あそこは上映中もかなり明るいのだ。

痴漢防止の配慮だと思うのだが、それでもやるところに痴漢の意地を感じる。

いや逆に明るいからこそ見せたいのか。

ちなみに痴漢は『暴行切り裂きジャック』で一人、『愛欲の罠』で一人(よくあんな映画で抜けるよね)。

両者とも、数少ない絡みのシーンでHand Jobを行って、

それが済んだら映画を最後まで観ずに出ていった(通報を怖れて?)。

そこで映画ファンじゃないと感じてなおさら腹が立った。

クリスマスに女一人でこんなとこ来るほうが悪い?……そんなことは言わないでほしい。

 

私は当時このことをツイッターに書かなかった。

これを書いて、新橋ロマンさんに女性客の足が遠のくことを怖れたからだ。

でも、ロマンさんがレディースシートの問題を提起してくれたので、書こうと決意した。

蟹江追悼特集でも「『犯す!』なんてタイトルの映画に来るような女は、

犯されたいんだな……」なんて思われたらたまらない。

 

ツイッターを見ている映画ファンなら、今の新橋ロマン(文化)さんのツイートが、

いかに知的でユーモアと映画愛に溢れてるかを知っていると思う。

そこには、新橋文化(ロマン)という映画館に映画ファンをいざなう真剣な気持ちがうかがえる。

(痴漢を放置するような)「場末の映画館」として朽ち果てていく場所にはしない、という気概を

(押し付けがましくなく)感じて、とても頼もしい。いつも楽しく読んでいる。

最近では、工事中のトイレに関して繊細すぎるほどの気配りに感激した。

 

一部の映画館にとって「場末」「ションベンくさい」「ハッテン場」みたいな表現は

「失われゆく貴重な昭和」の如く、ある種ホメ言葉のように使われていたことがあった。

そしてそこには痴漢が付きものだった。

でも、もう時代は変わったと思う。

味のある喫茶店がチェーンカフェ店に変わっていくのと一緒にされたら困る。

なにせ痴漢は犯罪なのだから。

 

AVも性風俗も発達していなかった昔、あるいは家で自慰できない事情がある人のために、

暗いポルノ上映館が存在していた時代は確かにあっただろう。

そんな頃は、逆に若い女のほうがアウェイだった。それはまったく理解していた。

だから私は若い時は「男装」してポルノ館に行ったこともある。

男装といっても、素顔にジャンパーにキャップ、スニーカーといった、

要するにパッと見の記号で「女」とわからなければいいのだ。その場の空気を壊さなければ。

そこまで気を遣っていたし、そうするべきだと思っていた

(一度、亀有名画座で「ニイちゃん、女だろ」と言われたことがあって、おかしかった)。

今だって、私は新宿在住だからしょっちゅう二丁目を歩くのだが、

ゲイ専門ショップを通るとき、すこぶるキッチュで楽しそうなので

入ってみたいといつも思うけれど、男性カップルがいる店内を見て、やっぱり遠慮するもの。

「テリトリー」というものは大事にしたい。

 

昔はポルノ館は男性、そして痴漢のものだったかもしれない。でも今は違うと思う。

ロマンポルノも「映画」だと見直され、他に射精の場も増えた現在、

もう映画館ではちゃんと映画を観せてほしい、と思う。

映画好きの男性だってそれは同じなはずだ。

痴漢の存在で一番迷惑しているのは男性かもしれない。

痴漢は「昔ながらの聖域にサブカル女が押し寄せてきて……」と思ってるかもしれないけど、

もともと映画館は映画を観るところ

映画館で魅力的な映画がかかる以上、映画ファンは男女問わずそこに行く。

 

長々と書いてしまったが、今回の新橋ロマンさんのレディースシート設置が、

痴漢の戦意を喪失させてくれることになるなら、本当にありがたい。

もしかしたら、この措置によって一瞬お客さんが減ってしまうかもしれない。

良識ある男性や常連のお客さんには違和感を持たれる可能性もある

(たとえばいつも座っている席に座れない、というだけでも)。

そのリスクの上でこの決断をしてくれたなら、心から感謝します。

これからもいい映画を上映してください。 

 

追記: もちろん女の権利だけを主張するつもりはありません。

たとえばレディースデーなどは、もう一度考え直すべきなのかもしれない

(これについてはまたあらためて考えたいし書きたい)

男女問わず、映画好きの誰もが、公平に快適に映画館で映画を

観られるようになることが望ましいと思っています(イマジン……)。

 

 

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●赤い口紅再ブームの理由

 

バブル時に流行して以来、化粧品会社がどう頑張っても、どう仕掛けても

売ることができなかった赤い口紅が、ストリート系・青文字系から

またブームになっているのは興味深い。

 

そもそも赤口紅が長らく流行しなかったのは、

日本女性が赤い口紅をつけるとどうしても顔が「和」になってしまって

洋服が似合わない、という理由があった。

それにしてはバブル時の女性は赤口紅・黒髪ロングヘア・

アイメイク意外とあっさり(ノーつけま)の平安顔で

ボディコンを着ていたのが不思議なんだけど、

あれはあくまでセクシー女性の記号で、

「和顔を恐れる」よりも牝のフェロモンサインを優先させたのだろう。

 

そして今「クールジャパン」の影響で、

和顔でトレンドファッションを着ていても可愛い、むしろ自慢、

ぐらいの価値観で堂々と赤口紅が流行っている。

若い彼女らはバブル時代の赤口紅を知らないから

偏見もなく無邪気につけていて、とても可愛いし、

実際外国人が見たら「オー、キティチャン」と思うんじゃないかしら。

 

ブリーチした金髪の根元が黒く伸びてきても

リタッチ(染め直し)しなくなったのも同じ理由だと思う。

数年前までは、根元の黒髪が伸びてきたらその部分を染めないと

ダサい・だらしない印象だったけど、

今は「日本人だからそりゃ黒髪は生えてきますよ」と

言わんばかりに堂々と伸ばしていて、

そのツートーンカラーは不思議な効果を生んでいる。

「プリン頭になっちゃった~」と恥じていたら

お洒落ではないが、本人がお洒落だと信じれば

そこからはもうお洒落になる。

 

赤口紅がまた流行りだしたのは、

「男性が赤口紅をセクシーと思わなくなったから」という理由もある。

むしろ今の一般男性は赤い口紅なんて怖いんじゃないの?

若い彼女らはもちろんフェミの意識なんて無いと思うけど、

赤い口紅をつけても「今日はリキ入ってるね!」とか

言われない時代はとても自由だ。

ウエッジソールの流行もセクシーからの解放のひとつ。

これまた男ウケの悪いアイテムだけど、

普通のハイヒールならセクシーなイイ女になってしまうところを、

少し滑稽なフォルムで背を盛れるウエッジソールは

小柄な日本女性にはとても便利。そしてラク。

 

もともとストリート系・青文字系はモテを狙ってはいなかったが、

本来はモテベクトルだった装いも軽々と自分に引き寄せているのが最近の特徴。

「いい時代だなー」「可愛いなー」と思いながらいつもニコニコ眺めている。

私のファッションの趣味がそっち系だから

ついそればかり目につくのかもしれない。

逆に今、男ウケするファッションって何だろう?

教えてほしいぐらい。

 

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●ホームページはじめました


ホームページをはじめました。
まだ、今まで描いたイラストとキャプションを
galleryに並べただけですが、今後は新作イラストや
blogもまめに更新していこうと思っております。
キャプションもまだ完全ではないので徐々に書き足していく予定。

私の絵はクドいので並べ方を工夫しないとトゥーマッチです。

なのでまったくの順不同です。

湯村輝彦さんの言葉で、
「絵はヘタウマ、ヘタヘタ、ウマウマ、ウマヘタに分けられ、
この順番で優秀である」という、絵描きなら誰もが戦慄し、
落ち込み、納得する名言があります。
ヘタウマは湯村さんを含む、一見ヘタそうに見えてうまい人のこと[removed]。
名イラストレーターや画家は、ほとんどヘタウマだと言えます。
ヘタは「個性」とも言い換えられ、たとえば俳優なども
完璧に整ったルックスや演技より少し崩れているほうが
魅力的だったりします。これもヘタウマと言っていいでしょう。
私は田原俊彦の歌でさえ「うまい」と評する者です。

「モノマネされる人」は最高です。

ヘタヘタは本当にヘタな、たとえば普通のお母さんが
趣味で描いたりする絵、つまり「味のある絵」ということです。
アウトサイダーアートもこれに入る場合があります。
ヘタヘタは商売にはならないかもしれませんが、
「絵を描きたい」と思う自由な気持ちが絵に現れていて
それが心地いいのです。
宮崎吐夢くんの絵を見たときは驚きました。
人の顎が三角で尖っているのです。小顔というレベルじゃなく
本当に定規で描いたような三角なのです。
今どきこんな絵を描く人がいるんだと感動すらしました。
でも、それが彼のつくる歌詞や歌、個性にとても合っています。

ウマウマは、普通にうまい人ですね、昔の肖像画家とか。
写真のない時代は、人や物をそっくりに描けただけでも
そっくり! すげー! となったわけです。
もちろんベラスケスやフェルメールもうまいのですが、
ウマウマにはどこか湯村さんの「つまらない絵」という
気持ちがこもっているので(ヘタヘタとウマウマの順番がポイント。

赤瀬川源平が『名画読本』で画家アングルを貶していたのと同じ)、
素晴らしい個性という意味ではベラスケスやフェルメールも、
乱暴な言い方をしたらヘタウマに区分されるのかもしれません。

最下位のウマヘタ、これが最大の問題なのですが、
これはどんな絵かと言いますと、私の絵なんですね。
一見、人の形がちゃんと描けていて濃淡もついていて、
普通に「うまいねー」と言ってもらえそうな絵なのですが、
自分ではいつもヘタだと落ち込んでいます。
目だけは肥えているので、人の絵を羨んでばかり(もちろんヘタウ[removed]マ)。
ただ、可愛い女の子とモチーフを面白く描く、ということだけは
できているかなと辛くも思っているので、なんとか描き続けていら[removed]れます。
湯村さんは、自分ではヘタと気付かずにウマぶっている人が
嫌いなのだから、私は自覚しているのでまだマシなんじゃないかと[removed]。

ウマヘタの人は、今から「ヘタ」には戻れないのです。
小さい頃から絵がそこそこうまく、なんでも描けてしまうので、
人の顎を三角に描くことはもう出来ないのです。
では、ウマヘタの人がそこから脱却するにはどうしたらいいのでし[removed]ょうか。
方法はいくつかあり、ひとつは猛練習してウマウマになること、
ひとつは自分なりのデフォルメを発明すること。
絵を長年描いていて自分のクセが染み付いてしまうと、
その二つともなかなかできないものです。

あとは「描きたい気持ち」があるかどうかですね。
私も自分の才能に落ち込み、一時は描く気持ちがまったく
失せてしまったことがあるのですが、
今、また描きたい気持ちが盛り上がってきました。
なぜ盛り上がってきたのかは、あまりにも長くなったので
次回にUPいたします。


これからもよろしくお願いいたします。